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【アズレン】《特別企画》重巡摩耶 75年の時を経て発見される。 彼女が歩んだ歴史とは?【アズールレーン】

2019年7月1日、故ポール・アレンの探索チームが、『アズールレーン』(以下、アズレン)にも登場する、戦没した旧帝国海軍の重巡洋艦摩耶を発見したと発表した。発見場所はフィリピン最西端のパラワン島沖の水深1850mで、原形がはっきり分かる形で残っている画像が多数公開されている。この記事では海底で眠る摩耶の姿を掲載すると共に、太平洋戦争の主要な戦闘に複数回参加し、最後はレイテ沖海戦において戦艦大和の傍らで沈んでいった摩耶の歴史を書かせてもらう。

なお、「まや」という名前は「まや型護衛艦」に引き継がれ、2018年に進水を果たし、2020年(令和2年)3月には竣工予定となっている。


▲まや型護衛艦「まや」の進水式(写真はwikipediaより)
 

この時期に摩耶が発見されたのは、歴史の縁を感じる出来事だ。摩耶の発見に尽力してくれたポール・アレンの探索チームに感謝すると共に、戦死した方々にここで哀悼の意を表したい。


▲『アズレン』の摩耶の雄姿

摩耶の誕生


▲竣工当時の摩耶(出典:Wikipedia

重巡洋艦摩耶は高雄型重巡の3番艦として川崎造船所で起工され、1932年(昭和7年)6月30日に竣工した。なお姉妹艦の鳥海も同日に竣工している。姉艦は高雄愛宕。建造当時は世界大恐慌の真っ最中であり、川崎造船所の倒産を防ぐために海軍が発注を行うという、経済政策によって建造が決まった艦でもある。

開戦後の摩耶

太平洋戦争開戦後からフィリピン侵攻作戦に従事していた摩耶は、1942年(昭和17年)には1月から3月まで蘭印作戦に参加し、二航戦の飛龍・蒼龍らによる空襲を支援する役目を果たした。

3月2日、姉の高雄、愛宕、駆逐艦の嵐、野分らと共にジャワ島の南を遊弋していた摩耶は、米駆逐艦「ストロングホールド」を撃沈する戦果を挙げている。

その後、横須賀に帰投し修理と整備を行なった摩耶は、5月20日に軽空母龍驤、隼鷹を基幹とする第四航空戦隊に編入され、北方戦線へと転戦。アリューシャン列島侵攻作戦に参加し、アッツ、キスカ両島の占領に寄与した。

8月、アメリカ軍にソロモン諸島のガダルカナル島とツラギ島を占領されたため、帝国海軍は呉に停泊していた第四戦隊を南方へと送り込んだ。摩耶も高雄、愛宕と共に参戦し、24日には第二次ソロモン沖海戦で前進部隊を務めた。

ヘンダーソン飛行場砲撃

ガダルカナル島を占拠した米軍は航空機運用のためにヘンダーソン飛行場を建設。ガダルカナル奪還のために輸送船で兵士と武器を送り込む必要がある日本軍にとって、大きな脅威となった。

既に航空戦力を損耗していた帝国海軍は、飛行場を破壊するために戦艦や巡洋艦、駆逐艦からなる挺身攻撃隊を編成するが、第一次攻撃隊は米軍巡洋艦隊の待ち伏せに遭いサボ島沖海戦が生起し、重巡古鷹、駆逐艦吹雪を失う大損害を受ける。

しかしながら戦艦金剛、榛名らで構成された第二次攻撃隊は10月14日に砲撃を成功させる。摩耶は金剛らに続いて10月15日夜に砲撃を実施し、450発の砲弾を叩き込んで滑走路の破壊に寄与した。

しかしながら、このとき米軍は既に予備の滑走路を建設しており、攻撃そのものに大きな意味は存在しなかったのだった。

ホーネット撃沈

10月26日、空母瑞鶴・翔鶴らと共に南太平洋海戦に参加した摩耶は、米軍機動部隊と交戦した。この戦いでの摩耶は翔鶴と瑞鶴の集中攻撃を受けて大破した米空母ホーネットを追撃して捕捉に成功。味方部隊の誘導を行ない、ホーネット撃沈に大きく貢献した。


▲重巡ノーザンプトンは大破したホーネットを曳航しようとするが失敗。ホーネットは戦場に放棄された

第三次ソロモン沖海戦

11月12日、再度ヘンダーソン飛行場への攻撃を試みた帝国海軍を米・豪連合軍が迎撃し、第三次ソロモン沖海戦が生起する。この戦いで帝国海軍は戦艦比叡、霧島を始めとした多数の艦艇を損失してしまう。

摩耶もSBD爆撃機の体当たりを受け魚雷発射管を損傷するなど38名が戦死、47名が負傷する損害を受け、トラック泊地で応急修理を行なった。この際、隣には戦艦大和が停泊しており、7万トン級の戦艦と1万トン級の巡洋艦が並んでいる姿はまるで親子のように見えたという。

ラバウル空襲


▲ラバウルで摩耶を襲撃したサラトガ

1943年(昭和18年)11月5日、パプアニューギニアのラバウルに入港していた摩耶は、米空母サラトガを基幹とする艦載機部隊の空襲を受け、戦死70名、負傷者60名という大損害を受けてしまう。

幸い沈没は免れたものの、航行不能となった摩耶は連日空襲のターゲットとなってしまうが、応急修理に成功。かろうじて横須賀にたどり着き、修理と改装を受けることとなった。

摩耶の最期

1944年(昭和19年)10月、姉妹艦の高雄、愛宕、鳥海と共に第四戦隊を編成し、レイテ沖海戦に参加した摩耶だったが、23日に潜水艦による雷撃を受けてしまう。まず愛宕が潜水艦ダーターの雷撃を受けて轟沈し、高雄も航行不能となる。


▲摩耶を撃沈したデイス。周囲の魚雷も摩耶に直撃させた数と同じ4本だ

摩耶も潜水艦デイスの雷撃を受けて回避しようとしたが間に合わず、左舷に4本の魚雷を受け沈没、その戦歴を終えた。

海底に眠る摩耶

ポール・アレン氏のチームが公開した映像によると、摩耶の状態は海底で70年以上眠っていた割には原形をとどめている。ここに写真を掲載する。

※写真の出展はすべてRV Petrelより


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