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『アズレン』改造艦の歴史を探る(7):航空母艦サラトガ『アズールレーン』

『アズールレーン』に登場する艦の中には「改造」による強化が可能な艦がある。高難度海域の攻略を行なう際、改造艦の優秀な戦闘力に頼っている指揮官も多いはずだ。この記事では改造可能な艦、および元となった史実艦の歴史について書かせてもらおうと思う。艦が歩んだ歴史を知ることは、より『アズレン』世界を楽しむための助けになるだろう。

航空母艦サラトガ

航空母艦サラトガは初期に少額課金をすれば手に入ることもあり、戦力が整っていない序盤戦では主力として出ずっぱりだったという指揮官も多いはずだ。特型建造で建造可能で4-1、6-4、10-2海域でドロップすることもあり、保有率が極めて高い航空母艦と言っても過言ではないだろう。

また原型が巡洋戦艦ということもあってかスキル「支援砲撃」を有しており、自爆ボートの処理能力が高い。スロットは戦闘機×1に爆撃機×2とそこそこバランスが取れており、強力な爆撃を仕掛けることができる。

スキル「編隊空母」も自身の航空攻撃後、8秒間前衛艦隊の与えるダメージがLV1で5.0%アップ。LV10で15%アップするという効果を持っており、火力支援空母としてうってつけの性能を持っている。

このようにサラトガは優秀な空母ではあるのだが、欠点も存在する。

最大の問題点は攻撃機を装備できないので位置固定型のボスに対し流星を用いた集中攻撃を行えない点にあるだろう。

また重桜空母のような強力なシナジー効果を持たず、航空値や対空値も空母の中では低めということもあり、攻略が進み戦力が整っていくと徐々に埋もれがちになっていきがちな空母とも言える。

サラトガ改

完全な改造を施したサラトガ改は、サラトガの欠点のいくつかを克服し、強みである爆撃火力をさらに増強した強力な艦だ。

まず装填値、対空値、航空値の3つが全空母中最高値となる。さらに追加される3つ目のスキル「魔女っ子のイタズラ」は自身の航空攻撃発動時、LV1で40%、LV10で70%の確率で追加の航空攻撃を行い、追加の航空攻撃が命中した敵を炎上・进水させるというきわめて強力なものだ。

ただでさえ強力なサラトガの航空爆撃が連発され、更には追加効果まで発動する。これは流星の魚雷攻撃では捉えづらい動きの速いボスやその取り巻きにまとめてダメージを与えるのにきわめて有効な手段となるだろう。


▲スキル発動時には絶大な火力を画面中の敵に連続で叩き込める

ただ、サラトガを改造する際の壁となるのが、必要となる資金と素材だ。以下に記載する。

・空母改造図T1×13
・空母改造図T2×13
・空母改造図T3×10
・艦載機パーツT3 ×50
・汎用パーツT3×50
・資金    31100
・同キャラorブリ× 1

正直に言って、かなり厳しい量の資金と素材を要求される。とくに最近は研究に資金を取られることが多く、31100の資金を賄うのは至難の業だ。日曜日のデイリー任務をこなした後などの資金が潤沢なタイミングで逐次改造していこう。

サラトガの誕生


▲1942年のサラトガ(写真はWikipediaより)

サラトガはレキシントン級巡洋戦艦3番艦として1920年9月25日に起工された。しかし拡大する一方の軍事費に疲弊しつつあった列強諸国は、1922年にワシントン海軍軍縮条約を締結。主力艦である戦艦の保有量が制限されることとなった。

このためサラトガは建造途中で1番艦のレキシントンと共に航空母艦への改装が決定した。なお2番艦のコンステレーションはサラトガより1月早く起工していたが、進捗状況はサラトガの方が早かったため解体されている。

なお、レキシントンに関してはこちらに特集記事があるので興味のある方はお読みいただきたい。

『アズレン』【特別企画】空母レキシントン発見記念。その歴史を紐解く!

1927年11月16日に就役したサラトガは、その後は演習や訓練に従事。悪化しつつある日米関係の中で、米海軍の主力として活躍すべく牙を研いでいた。

サラトガの苦闘

真珠湾攻撃の際にはサンディエゴで整備中だったサラトガは、すぐさま太平洋側に移動。北太平洋、南鳥島の東南東約1400kmに存在する米軍の拠点、ウェーク島の救援に向かう。

しかしサラトガが到着したときにはウェーク島の制空権はすでに日本軍の手に落ちており、救援は中止。サラトガは撤退した。

1942年1月12日。輸送船護衛任務にあたっていたエンタープライズおよびヨークタウンと合流すべくハワイを出港したサラトガは、日本海軍の伊号第六潜水艦の雷撃を受けて大破してしまう。かろうじてハワイに戻ったものの損害は大きく、この後4か月に渡りブレマートンで修理と改装を受けることになった。

修理完了間際の5月8日には世界初の空母機動艦隊同士の戦闘である珊瑚海海戦が勃発してレキシントンが失われ、姉妹そろって戦場に立つ夢は幻と消えたのだった。

 


▲姉妹そろって戦場を駆ける機会は巡ってこなかった
 

5月末には修理が完了したサラトガだったが、艦載機部隊は大破した折にハワイに留め置かれていたため搭載する部隊がおらず、サンディエゴにて訓練任務に従事することとなった。

6月5日。大戦の運命を決定づけるミッドウェー海戦が勃発。このとき珊瑚海海戦で航空隊を損耗していたヨークタウンサラトガの艦載機隊を搭載して戦場に赴き、戦い、そして散った。

サラトガの手の届かぬところで行われる激しい戦いは、仲間と敵を次々と水面の下へと沈めていったのである。

二度目の被雷

1942年8月。西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡る攻防は激化の一途をたどっていた。サラトガは空母ワスプと共に戦列に加わり、 第二次ソロモン海戦では日本軍の軽空母、龍驤を撃沈する。


▲龍驤を撃沈した記憶は『アズレン』のサラトガにもあるようだ

しかし8月31日、哨戒中のサラトガを、今度は伊号第二十六潜水艦の雷撃が襲う。かろうじて沈没は免れたものの戦線離脱を余儀なくされ、応急修理の後、9月21日に真珠湾へと帰港した。しかしサラトガ不在の戦場ではワスプが伊号第十九潜水艦により撃沈され、またもや彼女は仲間を失ってしまったのだった。


▲伊26も『アズレン』に実装されている。

敵も味方も失われ

1942年11月に修理を完了し戦線復帰を果たしたサラトガだったが、米軍は10月26日の南太平洋海戦において空母ホーネットを失っており、エンタープライズも中破し修理中だったため、ソロモン方面唯一の稼働空母として活動することになった。とはいえ既に日本軍は中核たる空母機動打撃部隊の大半を失っており、残った翔鶴・瑞鶴もパイロットと燃料の欠乏により動かせる状態ではなくなりつつあった。

1943年10月。新造された空母群が前線に配備され、サラトガの負担は軽減されつつあった。軽空母ブリンストンと共に第38任務部隊を形成したサラトガは、日本軍の拠点を次々と叩いた。その中でも大きな働きとなったのが、ラバウル空襲である。

その後、 ギルバート・マーシャル諸島の戦いに参加したサラトガは、1944年3月にインド洋へと配備される。ここで空母イラストリアスや巡洋戦艦レナウンらと合流し、インドネシア側の日本軍の拠点に空襲を仕掛け多大な戦果を挙げた。


▲サラトガとイラストリアスは実戦で共闘している。

戦いの終わり

1945年1月。前線を離れ、夜間戦闘機隊の訓練任務に当たっていたサラトガは、急遽硫黄島攻略支援のために出港することとなった。

1945年2月21日。硫黄島の夜間防空と父島への夜間攻撃のために護衛を伴い機動部隊本体を離れたサラトガに、日本軍の特攻機部隊が襲い掛かった。爆弾2発と特攻機4機の突入を許したサラトガは大破し、死者・行方不明者あわせて123人、負傷者192人という大損害を受ける。

修理を受けて復帰したサラトガだったが再び前線に赴くことはなく終戦。サラトガの戦いは終わりを告げた。


▲特攻を受けて炎上中のサラトガ(写真はWikipediaより)

ビキニ環礁に眠る

3度の大破を経て生き残ったサラトガを待っていたのは、核実験「クロスロード作戦」の標的艦となる運命だった。重巡プリンツ・オイゲン、戦艦長門らと共に核の炎に包まれたサラトガは、1発目の 「ABLE」 を耐えきってみせる。


BAKER実験の写真。中央にいる艦がサラトガ(写真はWikipediaより)

しかし2発目の 「BAKER」 を受けた7時間後、船体に致命的な損害を受けたサラトガは沈没。当初は引き上げてさらなる詳しい調査が行われる予定だったが放射線の影響を考慮して中止され、サラトガは今もそのまま海底で眠り続けている。


 


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